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国内最高の約30億円の損害賠償等が認められた事例

国内最高の約30億円の損害賠償等が認められた事例
―H2ブロッカー事件(シメチジン事件)―
Precedent Ackknowledging The Highest Damages etc. In Japnese History Of About 3 Billion Yen
− H2 Blocker case −
特許事務所 富士山会 代表者 弁理士・行政書士 佐藤 富徳
Tominori Sato

抄録
本件は、H2ブロッカー(シメチジン)と呼ばれる胃腸薬の製造方法の特許権の侵害に対して、逸失利益として国内最高の25億6千万円の損害賠償及び5億円の不当利得返還請求が認められた事例である。
  本件では、被告の製造方法が特許法104条の生産方法の推定規定1)を受け得るかどうかが争点となったが、東京地裁は推定規定の適用を認め特許権侵害があったと判断し、侵害がなかったならば得られたはずの原告の逸失利益を損害額として認めたため、賠償額が膨らんだものである。
  本件の逸失利益の算定方法は、今回の改正特許法を先取りしたものであり、我が国の本格的プロパテント時代の幕開けを反映したものということができよう。
  さらに、本件に見るように賠償額の高額化に対応した実務の指針にも触れることとする。

目次
1. 本件事件の概要
2. 本件事件の争点
3. 原告の主張
4. 被告の主張
5. 判示事項
6. 研究
7. 実務への指針
8. おわりに


1. 本件事件の概要
  本件は、H2ブロッカーと呼ばれる胃潰瘍等の治療薬タガメットを製造している英国の製薬会社X1社と国内の関係会社であるX2社が、同種の薬品カイロックを販売している被告Y社に特許権を侵害されたとして、同社に約55億円の賠償を求めた訴訟である。判決は「被告Y社は、原告X1社が特許権を有する製法で製品を製造したものと認められる。」とし、約30億6千万円の損害賠償等を命じた。日本での特許権侵害としては史上最高額2)となる。
  訴えたのは、特許権者である英国の製薬会社X1社と日本国内で独占的通常実施権を有するX2社である。判決によるとX1社は、昭和48年9月にシメチジンと呼ばれる化合物の製法を特許出願、シメチジンを有効成分とするタガメットを昭和57年から国内で発売していた。一方、Y社は旧ユーゴスラビアの製薬会社のシメチジンを有効成分とするカイロックを昭和61年に発売した。訴訟で、Y社は「旧ユーゴスラビアの製薬会社の製法は、X1社の製法とは全く異なり、特許権侵害には当たらない。」と主張した。判決は「旧ユーゴスラビアでの製造記録には不自然な点が多くあり、カイロックはX1社が特許権を有する製法で製造されたと推認される。」と認めた。特許権が消滅した平成5年9月までの間、特許権侵害があったと判断した。そのうえで、カイロックの被告Y社の販売数量だけタガメットの原告X1社の売上が減少したとし、かつX2社の販売額に対する利益率を15%としてX2社の逸失利益を算定した。日本の関連会社X2社に約25億6千万円(損害賠償)、英国のX1社には実施料に相当する5億円(不当利得)の支払い)を被告Y社に命じた(30億円損害賠償請求事件)。(図1を参照)
用語等の説明
原告X1社:特許権者である英国の製薬会社
原告X2社:日本国内で独占的通常実施権を有するX1社の国内の関係会社
被告Y社 :旧ユーゴスラビアの製薬会社R社からシメチジン原末を輸入して、カイロック錠を製造販売している国内の製薬会社
訴外R社 :旧ユーゴスラビアの製薬会社
シメチジン:タガメット、カイロックの薬効成分であり、化合物の化学構造式は別途のとおりである。(図2を参照)
タガメット:原告X1、原告X2社の製剤で、錠剤のみである。
カイロック:被告の製剤(被告製剤ともいう。)で、錠剤と細粒の両方が有る。
英国第一出願:昭和46年3月9日及び同46年7月22日の英国出願
英国第一出願:昭和47年9月5日及び同48年2月8日の英国出願
乙34出願:英国第一出願に基いて優先権主張して出願した我が国特許出願(特願昭47−024371号)
乙35出願:乙34出願からの分割出願で、分割出願をする際シメチジンの実施例が追加されている。(特願昭49−147490号)特許後、原告は要旨変更を認め特許料不能で特許権は消滅している。
本件特許権:英国第二出願に基いて優先権主張して出願した我が国特許出願で、特許後、無効審判を請求されたが、訂正審判請求で訂正が確定している。(特願昭48−100125号、特許1062766号)
2. 本件事件の争点
本件の第1の争点は、Y社の製造方法が特許法104条の“生産方法の推定”規定の適用を受け得るかどうかであった。同条では物を生産する方法の発明について特許が出されている場合、その物が特許出願前に日本国内で公然と知られていないときは、その物と同じ物は、同じ方法によって生産されたものと推定する旨規定されている。
  本件の第2の争点は、侵害がなかったならば原告X2社が得られたはずの逸失利益の算定方法として、
原告X2社の損害額=被告Y社の販売数量×原告X2社の販売単位当たりの利益額
が認められるか否かということであった。
  本件の第3の争点は、特許権の消滅後の被告Y社の販売した物に対して侵害を構成して原告の賠償が認められるか否かということであった。
3. 原告の主張
3.1特許法104条の適用について
原告は「シメチジンは、本件特許権のいずれの優先権主張日当時、新規化合物であったから、特許法104条により、被告製剤に使用されているシメチジン原末は、本件特許方法により製造されたものと推定される。よって被告が被告製剤を製造販売することは本件特許権を侵害する。」と主張した。
3.2被告製剤の販売数量について
原告は「現在、我が国で旧ユーゴスラビア(現スロベニア)からのシメチジンを輸入しているのは被告だけであるから、シメチジンの輸入量は、被告が被告製剤の製造に使用した量と一致する。旧ユーゴスラビア(現スロベニア)から輸入したシメチジンの量は、次のとおりである。」と主張した。
そして、右輸入量を基礎として、カイロック錠の製造販売数量を、次のように算出した。(図3、図4を参照)
なお、カイロック細粒の販売数量は錠剤換算で算定されている。
3.3原告X2社の損害賠償請求について
(1)独占的通常実施権者について
  「原告X1社の製品を日本国内で販売しており、原告X2社は原告X1社が所有する特許権の日本における独占的通常実施権者である。」
(2)平成2年7月から5年8月までの侵害行為に係る損害
「被告が被告製剤を輸入、販売する行為は、原告X2の独占的通常実施権を侵害するものであり、また被告は右侵害行為をするに当たり、少なくとも過失があった。」とし、「原告X2社は、我が国における本件特許法の独占的通常実施権者であり、唯一適法にシメチジン製剤を販売していたから、被告製剤が販売されたことにより、被告製剤の販売数量と同数量だけ、原告X2社によるタガメット錠の売上が減少した。原告X2社は、タガメット錠を一錠当たり35円で販売し、一錠当たり少なくとも15円の利益を上げている。したがって、被告が被告製剤を販売したことにより、以下の損害を蒙った。」と主張した。
そして、被告Y社の不法行為に基き、原告X2社は、以下の式で算定する損害のうち、金50億円を請求する旨主張した。
損害額(原告X2社の得べかりし利益)
=被告Y社の販売数量×原告X2社の販売単位当たりの利益額
(3)平成5年9月ないし12月の侵害行為に係る損害(存続期間満了後の損害賠償)について
「被告が、本件特許権の存続期間内中にカイロック錠を販売することができたのは、存続期間中にシメチジン製剤を製造し、各種試験に基くデータを厚生大臣に提出して製造承認を得たからである。もし、被告が、存続期間満了後に、初めて製造承認を得ようとしたら、承諾が得られるのは早くとも平成6年9月ころ(存続期間満了から1年後)となる。」として、存続期間満了後の損害賠償を請求している。
3.4原告X1社の不当利得返還請求権について
「被告は、特許権者である原告X1社に対し、被告製剤の製造販売について相応の実施料を支払うべきところ、不当にこれを免れている。被告が支払いを免れた実施料の額は、売上高に対して通常の実施料率である5%を乗じた9億0326万円を下らない。」と主張して、右金額の不当利得返還請求をした。
4.被告の主張
4.1特許法104条の適用について
(1)被告は「シメチジン及びその製造方法は、乙35出願の分割要件が適法に認められていることから、分割原出願である乙34出願に開示されていたことに間違いはなく、優先権主張も適法に認められていることから、英国第一出願に含まれていたことになる。したがって、シメチジン及びその製造方法について、英国第一出願が最初の出願であり、英国第二出願は最初の出願ではない。」として、「英国第二出願に基く優先権主張の要件を欠いており、乙35出願の新規性判断の基準日は、昭和48年9月5日である。」と主張し、
続けて「昭和47年8月24日、シメチジンを包含する一般式のベルギー出願が公開され3)、右ベルギー特許は、昭和47年9月発行の「ケミカル パテンツ インデックス」(イギリスのダウエント社発行)にも記載された。また、シメチジンは、前記のとおり、乙34出願が、昭和47年12月16日に公開されたことによっても公知となっている。」として、本件特許発明は、特許法104条の新規性判断時点には、既に公知になっているので、特許法104条は適用されない旨主張した。
これに対して、原告は「乙34出願及び対応する英国第一出願の特許請求の範囲の一般式には、シメチジンが形式的に包含されているが、一般式を示しただけでは公然知られたことにはならない。英国第一出願に記載されている広い範囲の化合物からシメチジンを選択して英国第二出願をしたものであり、優先権主張は適正である。
また、ベルギー特許も英国第一出願に基く優先権主張をしているので乙34出願と同じ内容であり、ベルギー特許の出願公開によっても、公知とならない。」と反論した。
さらに、「乙35出願の分割出願の際シメチジンの実施例を追加したが、要旨変更となるので、特許料不能で消滅させている。このような事後の手続の経緯が乙34出願の開示内容に影響するものではなく、本件特許出願の関係は、両明細書を客観的に対比することにより判断すべきである。」と反論した。
(2)被告のシメチジンの製造方法
被告Yは「被告製剤に用いられるR社製のシメチジンは、R法で製造されたものである。本件特許方法とは出発物質も処理手順も全く異なる製法であり、R法は本件特許権を侵害しない。製造記録、R法の追試、不純物等に基づいて、原告の特許の製法であるオキシ法ではなく、R法で製造されたものである。」等と主張した。
これに対して、原告は、記載内容の矛盾、実施不能、不純物分析、収益等について、種々反論したが、ここでは詳細は割愛する。
4.3被告製剤の販売数量について
被告は、「原末輸入量が直ちに販売数量となるものではなく、原末損失の外、常に在庫として貯蔵される原末が存在するので、原告の主張する被告製剤の販売数量はもっと少ない。」と主張した。(図3、図4を参照)
4.4原告X2社の損害賠償請求について
(1)独占的通常実施権者について
「原告X1社は、本件特許権者である原告X1社と契約を締結していない。また、原告X1社は本件特許権の独占的通常実施権者ではない。原告X1社は、本件特許の存続期間中にシメチジン製剤を販売した製薬会社すべてに法的手続を採らず、原告X2社以外の製薬会社にもシメチジン製剤の販売を許諾していた。原告らは、原告X2社以外の製薬会社に実施権を与えたものではないと主張するが、対価を得て販売を許可することは実施権を与えたことにほかならない。原告X1社が、タガメットの製造を許諾したのは、訴外F社に対してであって、原告X2社は、単にその販売を行なっているのに過ぎない。タガメットの製造承認及び品目許可を得たのは、右F社であり、薬価収載もF社の製造販売に係る医薬品とされている。F社との関係からみても、原告X2社は、本件特許権の独占的通常実施権者ではない。」と主張した。
これに対して、原告X2社は「原告X1社の親会社が、原告X1社を代理して締結したものであって、その中に、関係会社の有するすべての特許に適用のあることが明記されている。」と反論した。
(2)相当因果関係について
相当因果関係は損害賠償事件で必ず大きな争点となり得るので被告の因果関係がないという主張及び原告の反論を、以下、原則としてそのまま掲載する。
「タガメットが大規模病院に納入されているのに対して、被告製剤は開業医を中心とする中小医療機関に納入されており、両者は需要先が異なる。」と被告は主張した。
これに対して、原告は「しかし、医師に対する医薬情報提供担当者の数は、原告側の方がはるかに多い。需要先が異なるという点も、タガメットの売上は大規模病院よりも開業医の方が多く、被告は病院に食い込めないから、開業医向けの被告製剤の販売数量の方が多いというだけのことである。むしろ、販売の絶対量において、小規模病院及び診療所に販売されたタガメット錠の量は、被告製剤のそれよりはるかに多く、医薬情報提供担当者と医師との接触回数も小規模病院及び診療所についてタガメット錠の方が多い。タガメット錠と被告製剤とは、同じ需要層で競合していた。」と反論している。
被告は「また、平成2年以降、カイロック40%細粒の販売数量の方がカイロック錠よりも多いが、タガメットにはこのような剤型はなく、タガメットはカイロック40%細粒と競合しない。
タガメットも被告製剤も、H2ブロッカーとして、同じくH2ブロッカーである塩酸ラニチジン製剤であるザンタック、ファモチジン製剤であるガスター、塩酸ロキサチジンアセテート製剤であるアルタット、ニザチジン製剤であるアシノンと競合・代替関係にある。そして、臨床医は、化学構造の相異には関心がなく、右各製剤は相互に代替可能な同一作用機序、同一効果を有するH2ブロッカー製剤として使用されている。」と主張する。
これに対して、原告は「本件では、タガメットの売上が減少したかどうかは関係なく、同じシメチジン製剤である被告製剤がタガメットを代替したかが問題である。被告があげるその他のH2ブロッカー製剤の有効成分は、シメチジンとは別個の化合物であり、物性に異なるところがあるし、薬効の範囲が同様であっても効き方は違い得る。また、化合物として異なる以上、副作用の異なることが当然に予想される。シメチジンは、その特定の化学構造故に独自の効果を有しているのであるから、すべての面で全く同等のものは存在しない。被告の販売した製剤は、独占的通常実施権者である原告X2社の販売していた本件特許実施品と全く同一のシメチジンの製剤であった。この様な場合、同じ物は同じ物を代替したとみるのが当然である。剤型が異なっても、シメチジン以外の特殊な効果を持っているわけではないから同様である。」と反論する。
さらに、被告は「タガメットの売上量は、昭和59年11月のザンロックの発売や昭和60年7月のガスター等他のH2ブロッカー製剤の発売により減少したものであって、昭和61年11月の被告製剤の販売開始によって影響を受けたものではない。のみならず、被告製剤の販売数量と同数量のタガメット錠の売上が減少したとはいえない。
本件で損害賠償の対象期間となっている平成2年7月、タガメットの後発品(いわゆるゾロ商品)が25社から発売されている。ゾロ商品は薬価差を武器に販売していたわけであるから、右ゾロ商品の発売がタガメットの販売数量に影響を及ぼしたのであって、被告製剤の販売数量と同数量のタガメットの販売が減少したとの原告の主張は根拠がない。
タガメットは、当初F社がその販売を担当したが、その後F社はタガメットの販売から手を引き、原告X2社の販売力は低下した。原告らは、販売回復に努め販売促進活動を行なったであろうが、請求の対象とされている期間、原告X2社の販売力に余力はなく、自らの販売能力の上限、極限での販売活動をしてきた。
したがって、被告製剤の販売分と同数だけ、原告X2社がタガメットを余分に販売することができたとする原告X2社の主張は成り立たない。」と主張した。
(3)平成5年9月ないし12月分の損害(特許消滅後の損害)について
被告は「本件消滅後の販売行為は損害賠償の対象とはならない。
本件特許権は製造方法についてのものであって、目的物質それ自体に及ぶものではないから、製造承認の申請を禁止する根拠とはならない。」と主張した。
これに対して、原告は「製造承認を得るためのシメチジンの合成と試験への使用は、特許法69条1項にいう試験又は研究ではない。被告はシメチジン原末を輸入しているのであるから、その原末を製剤して存続期間満了後に販売することも特許権侵害であり、輸入という侵害行為の損害が製造販売時に顕在化されることになる。」と反論した。
(4)タガメット一錠当たりの利益額について
「 原告X2社が被った損害は、同原告の得べかりし純利益4)を基礎として算定すべきものであるから、タガメットの研究開発費、販売促進費、広告宣伝費やタガメットに関する一般管理費は控除されなければならない。そして、タガメットは原告X2社の主力商品であるから、同原告の一般管理費のほとんどは、タガメットに基因するものである。原告X2社の主張は、これらを無視するものであって、一錠当たりの純利益は、15円よりもはるかに低額である。」と主張した。
4.5原告X1社の不当利得返還請求権について
「原告X1社の主張する実施料率(製品販売額の5%)は、高きに過ぎる。国有特許権の実施料率算定方法に基き、2%とするのが相当である。」と主張した。
5.判示事項
5.1特許法104条の適用について
(1)「ケミカル・アブストラクツ誌及び日本国特許公報を調査したところ、本件特許権の優先権主張日(昭和48年2月8日)当時、右刊行物にシメチジンの記録を見出すことはできなかった旨の調査報告が報告されていること、右ケミカル・アブストラクツ誌は、その創刊以来、全世界の化学に関係のあるほとんどの学術雑誌、特許文献、主要学会の講演集等の広範囲な文献調査に基く二次検索(抄録誌)であること、……シメチジンは、右優先権主張日当時、日本国内において公然知られた物ではないことが認められる。5)」
「原告X1社は、英国第一出願に基いて優先権主張をして、乙34出願の特許出願としていることが認められる。そして、シメチジンが、乙34出願及び対応する英国第一出願の特許請求の範囲の一般式に形式上含まれていることは当事者間に争いがない(なお、本件では、英国第一出願明細書は証拠として提出されていないが、原告においても乙34出願の明細書の記載が、英国第一出願明細書を翻訳した内容と同一であることを前提としているので、以下、この前提に立って検討する。)。乙34出願の明細書中の発明の詳細な説明の項には、本件特許の優先権主張の基礎となった英国第一出願明細書に記載されている、シメチジンに相当する化合物の具体的化学的構造式、化合物名、その製造方法及び物性等は何ら開示されていない。」
「ある化合物ないしその製法が発明として開示され、実施例に基いて製法が開示されていたと認めることができない。よって、本件の出願における優先権主張は適法であると解する。
確かに、乙35出願は、英国第一出願を基礎として優先権主張がされ、同出願の明細書中にシメチジンの実施例が追加されている(当事者間に争いがない。)。
しかし、英国第一出願と日本における乙34出願及び乙35出願とは別個独立のものであり、日本に出願されてからの審査経過は、優先権主張の基礎となった英国第一出願の明細書の記載内容やその後の英国第二出願との関係に何ら影響するものではないと考えられるし、そもそも英国第一出願においていかなる発明が開示されていたかは当該明細書の記載から客観的に判断されるべきであり、乙35出願が英国第一出願を基礎とする優先権主張をして乙34出願から分割出願されたという事後の手続の経緯によって発明の開示の程度が左右されるものではない。したがって、被告のこの点の主張は採用できない。」
「しかし、右ベルギー特許出願は、原告X1社が英国第一出願を基礎として優先権主張をしたものであることが認められるところ、前記と同様に、シメチジンの具体的構造、製法、物性等は示されておらず「公然と知られた物」とは、少なくとも当該技術分野における通常の知識を有する者において、その物を製造する手掛りが得られる程度に知られた事実が存することが必要であると解するのが相当であるから、シメチジンが、本件特許の優先権主張日当時、公然知られていたということはできない。したがって、この点に関する被告の主張も理由がない。以上によれば、シメチジンは、本件特許の優先権主張日当時新規化合物であったと認められるから、特許法104条により、被告製剤に使用されているシメチジン原末は、本件特許法により製造されたとものと推定される。」と判示。判示事項に賛成。
(2)被告製剤に用いられているシメチジンの製法について
判示事項の概要は以下のとおりである。
「被告は、被告製剤に用いられているシメチジンは、別紙「イ号方法の表示」記載のとおりの製法で作る。
本件製造記録は、R社における実際の工場生産の過程を記載したものと認めることはできない。次に@市場から入手したカイロック錠A被告の提出した本件製造記録の条件を適宜改善することによって得られたシメチジンB本件特許発明の技術範囲に属する方法(オキシ法)で製造されたシメチジンの各不純物分析の結果によれば、カイロック錠原末は、被告の主張に係るイ号方法に係る方法によって製造されたものではなく、むしろ、本件特許発明の技術範囲に属する方法(オキシ法)により製造されたものと推認することができる。したがって、右いずれの理由からも、「被告製剤に使用されているシメチジン原末が本件特許方法により製造されたものではない」との立証か尽くされたものということはできない。」
その他被告の主張に対して種々判示されたが、被告に有利となる判示事項は見当たらない。詳細は省略する。
5.2被告製剤の販売数量について
昭和61年から平成5年までの間、我が国で旧ユーゴスラビアからシメチジンを輸入しているのは被告のみであることに争いがない。
カイロック錠について、原末から製剤を製造する場合の在庫のままとされた量の輸入量全体に対する比率を15%として、原末の損失は5%6)、輸入量全体の80%がカイロック錠の製造に使用されたものとして被告製剤の販売数量を判示した。(図3、図4を参照)
続けて「被告の主張する販売数量は、輸入量と比較すると、在庫量があまりに大量であって、極めて不自然であること等の点を考慮すると、被告の主張は採用することができない。」とも判示している。
5.3原告X2社の損害賠償請求について
(1) 独占的通常実施権者について
「@原告X1社は、平成2年以後、少なくとも26社のシメチジン製剤の発売製造業者に対し、右製剤の製造販売差止仮処分を申請したことAこのうち、訴外D社に対する仮処分申立ては和解により終了したが、原告X1社は、右D社からシメチジン原末を購入していた右S社の在庫として持っていたシメチジン原末を処分することを認めたことB右S社を除く残りの5社は、訴外M社が他の業者に製造させていたシメチジン原末製造させていたところ、原告X1社は、一連の仮処分申立てを行なう前に右M社と話し合いの場を持ち、必ずしも本件特許権の侵害とは断定できないながらも対価を得て、右M社及び同社からシメチジン原末の提供を受けている5社に対しては訴訟を提起しない旨の合意が成立したこと等の事実が認められる。」とし、
「もし、このような和解における互譲の一態様として、シメチジン製剤の製造販売を許容した結果、原告X2社の独占的通常実施権者としての地位に変動が生じるとするならば、先行する特許権侵害者と特許権者ないし独占的通常実施権者との和解によって、後行侵害者は何ら独占的通常実施権者からの損害賠償請求を受けないという不合理な結果を放置することになり、独占的通常実施権者としての地位に影響がないと解すべきであろう。」と判示。判示内容に賛成。
(2)相当因果関係について
「被告が販売した被告製剤は、原告X2社の販売していた本件特許実施品と全く同一のシメチジンの製造であること、被告が挙げる他社のH2ブロッカー製剤は、シメチジンとは別個の化合物であり、その性質も異なり、薬効も相違が生じ得ることに照らせば、本件のような場合において、被告の販売した被告製剤は、全く同一化合物である原告X2社の販売していた製剤を代替したものと解するのが相当であって、結局、被告の主張は採用できない。また被告は、被告独自の営業努力によって納入実績を確保したのであり、被告製剤の販売数量と同量のタガメット錠販売が減少したとはいえない旨主張するが、本件全証拠によるも、右主張に沿う的確な証拠はない。」と判示した。
(3)平成2年7月から平成5年6月までの侵害行為に係る損害
・原告X2社におけるタガメット錠の利益額について
「原告X2社におけるタガメット錠の製造、販売に係る直接経費(原末代、製剤・包装費、特許実施料、配送・販売管理費)すなわち売上高における割合45%控除するのが相当である。」と判示。(詳細は省略する。)
「原告X2社における一般管理費は、逸失利益の算定に当たり、一般管理費のすべてについて、タガメット錠の製造、販売に寄与していないものとして、全く考慮しないことは、必ずしも適切ではないものというべきである。結局民事訴訟法248条の趣旨に照らして、タガメット錠の売上額の40%に相当する一般管理費に限り、タガメット錠の売上額に比例して増減する性質を有するものとして控除するのが相当である。」と判示した。
原告X2社は、独占的通常実施権者であるというべきところ、被告が、被告製剤を販売したことにより、被告製造の販売数量と同数量だけ、原告X2社によるタガメット錠の売上が減少したものということができる。そこで、同被告が被った逸失利益額を算定するに当たり、原告X2社におけるタガメット錠の利益額=タガメットの売上額−直接費−一般管理費(比例費に限定)として、算出すべきであることを示し、結局、原告X2社におけるタガメット錠の利益額をタガメットの売上額の15%と算定した。
(4)平成5年9月から平成5年12月までの侵害行為に係る損害(本件特許権が消滅後)について
「本件特許権の存続期間中に、被告が被告製剤の製造承認申請自体が違法であるとまではいえないことに照らして、原告の主張は採用できない。」とした。
5.4不当利得返還請求権について
「原告X1社は、被告に対して、実施料相当額につき不当利得返還請求権を有することになる。」と判示。
実施料率として売上高の3.5%を超えることは明らかであるとして、本件製法の製造販売に関する実施料額は、実施料として、売上に対する3.5%を認めた。
以上によって、原告X1社は不当利得返還請求として5億円、
原告X2社は、損害賠償として25億6千万円
全体として30億円の賠償を認めた。
6.研究
本件で争点になった3つの点について研究することとする。
6.1特許法104条の適用について
本件特許発明が、ベルギー特許公報(乙34出願特許公報についても同じ主張をしている。)に既に開示されていたかどうかが争点となったたが、シメチジンの上位概念の化合物の一般式で記載されていたとしても、シメチジンの製造方法と効能が記載していなければシメチジンが開示されていたことにはならず、したがって、本件特許発明は開示されていたことにはならない。判示内容に賛成する。なお、我が国の特許実務における新規性等の判断プラクティスでも、同様に取扱われている。
優先権主張要件についても争われているが、前述と同様の理由で、本件特許発明は英国第一出願には記載されていないと考えられるので、優先権主張要件についても、被告の勝ち目は薄かったと考えられよう。
特許法104条が適用された時点で立証責任が転換されるので、被告のシメチジンの製造方法が、本件特許権を侵害していないことを証明する必要があり、種々の証拠を被告は提出したが、被告の主張は認められず被告には気の毒な結果となった。なお、被告は、不純物分析を通じて侵害ではない旨を主張したが、逆に侵害であることを証明したような結果ともなった。
6.2損害賠償の額について
損害賠償として、一般に@原告の逸失利益A被告の利益額B実施料相当額のうちどれかが認められている。本件では、Aの逸失利益が損害額として次式で算定している。
原告の損害額=被告の販売数量×原告の販売当たりの利益額
であるが、問題となる製造量は、被告のみがシメチジン原末の輸入をして、原末輸入量からシメチジン(カイロック)を製造販売している。カイロックカイロック錠の製造量は、原末損失と在庫量を考慮して算出することができ、立証は比較的簡単なケースであったのであろう。なお、本訴訟では、通常の場合大きな争点となるはずの被告の販売数量はそれ程争われていないからである。
6.3独占的通常実施権者について
「今回、原告X2社が独占的通常実施権者であるかどうかも争われたが、「ゾロ品販売者に対して特許権を行使して和解が成立し在庫処分を認めたので、原告X2社以外にも実施許諾したことになるので、最早原告X2社は独占的通常実施権者ではない。」と被告は主張したが、「和解内容によって独占的通常実施権者の地位に変動が生じるということは不合理であり、原告X2社が独占的通常実施権者であることに間違いがない。」と判示された。判示内容に賛成する。
6.4存続期間満了後の損害賠償について
薬品の製造承認申請に際して行われる製造及び試験は、現在高裁レベルでは公共性等から侵害しないということになっており、結論としての判示内容に賛成する。
被告Y社は、特許権存続期間内に製造していたが、タガメットを存続期間満了後販売したことは侵害品を販売したことになろう。なぜならば、シメチジン原末の輸入行為自体が侵害であり製造されたカイロックは侵害品であるからである。単に原告X2社が輸入時点と製造時点のタイムラグを考慮して理路整然とした請求をしなかったために請求が認められなかったためである。存続期間満了後の販売による損害額(存続期間中に輸入したものに限る。)もかなりの額になっていると思われるので原告としては不満が残ろう。7)
さらに、米国では判決として認められている“ Head Start 理論”8)に基いた請求も認められる余地があるではなかろうか?
6.5不当利得返還請求権について
本訴訟では、不当利得返還請求額が実施料相当額とすること自体に争いがなく残念な気もする。本件の場合、原告X2社に独占的通常実施権を設定しているので、原告X1社は実施料を受け取る権利があるので、実施料相当額の不当利得返還請求することには問題がないように思われる。
しかし、原告X2社も、不当利得返還請求をすることができるか否かが問題として残ろう。原告X2社の独占的通常実施権が再実施権付きか否かハッキリしていないが、再実施権付きでないならば、原告X2社以外に実施許諾することは現実には有り得ないのであり、被告の行為により、原告X2社にも損失が発生しているのは事実であろう。
ひいては、原告X2社にも不当利得返還請求が認められるとすれば、不当利得返還請求額が実施料相当額であるとする理論的根拠を欠くことになるのではなかろうか?
7.実務への指針
本件は、平成11年1月1日から施行された今回の改正特許法を先取りした判決であり、損害賠償等においても、日本のプロパテント時代の幕開けのモニュメントとしての意義があるであろう。改正特許法が適用される特許権では、損害賠償では本判決が認める逸失利益で損害額が算定されることになる。
なお、改正特許法において、特許法102条の適用は、平成11年1月1日以後に特許となった特許権に対して適用されるのであるが、改正前の特許法が適用される場合についての判決も逸失利益をベースとして損害賠償額を算定する例が今後増えていくものと考えられる。
したがって、損害賠償額が逸失利益であるとすれば、仮に売上高の15%程度とすれば、3分法で算出すれば、実施料率は5%程度となるので、従来実施料相当額とする判決が大部分であったことから見れば、損害額が約3倍程度高騰することになるであろう。なお、本訴訟では、原告X2社に売上高の15%の損害賠償を認め、原告X1社には売上高の3.5%の不当利得返還請求権を認めているので、独占的通常実施権を設定していない特許権の場合、18.5%の損害賠償が認められるたことになるのではなかろうか?(図5を参照)
従来は、原告の逸失利益、被告の利益額、実施料相当額が認められていた。損害額の大きさはこの順番のとおりであるが、認められる確率は逆の順番で実施料相当額(55%)、被告の利益額(37%)、原告の逸失利益(6%)となっていた。9)
今後は、出願から特許権取得までが特許に携わる者の業務の主要部分であつたが、権利活用あるいは相手方の特許対応といった業務の部分も比重が大きくなっていくであろう。すなわち、特許権の経済的価値等の算出に基いて、経済学的に数値をもってシステム的に説明できるようなスキルを用意しておくことが今後の課題となろう。
8.おわりに
最後に、本論説を纏める際しまして色々とお世話になりました関係各位には深く感謝の念を表します。

注記
1) 物質特許制度は昭和50年から施行されているので、本件特許権(本件特許出願は昭和50年以前の出願である。)は物質特許としては保護されないが、特許法104条の生産方法の推定規定によって保護されていたということである。物質特許制度によって保護されるようになると特許法第104条の規定の存在意義が殆どなくなっていた。
2) 荒井寿光著「これからは日本もプロ・パテント(特許重視)の時代」社団法人 発明協会 1997年9月1日初版発行 p.33〜34には、「アメリカでは、コダック社とポラロイド社との特許紛争のときには1,000億円以上支払ったと言われるし、日本のミノルタ社が、アメリカのハネウェル社に160億円支払ったと言われています。特許を侵害したときには賠償金額が数百億円とか1,000億円を超したりするようになっております。
日本で見たときには85年から89年の平均が2,500万円です。一方、90年から94年の平均が4,600万円ということで、アメリカの9,200ドル(約100億円)の200分の1にすぎません。」と記載されている。
3) ベルギー特許の公開によっても公知となる。我が国は文献公知に関しては世界公知主義を採っているからである。
4) 被告は、極力損害額を少なくしたいから純利益を主張するのが通例であり、原告は粗利を主張する場合もあろうが、判例として認められたのは前者が多い。
5) 特許法104条の公知でないことの証明については、一般に“ないこと”の証明は難しいと言われるが、特許出願の審査における調査に相当する文献調査で新規であれば一応の証明がなされたとすべきである。そうでないと特許法104条の実効が図れなくなるからである。
6) 原末から製剤を製造する場合の在庫のままとされた量の輸入量全体に対する比率を15%とすることについては被告が主張した。原末の損失は5%は元々原告も主張して争いがない。
7) 被告製剤の販売数量は特許権存続期間満了後もかなりの数量を販売しており、かつ、原告が旧ユーゴスラビアからのシメチジン原末の輸入量から瞬時にカイロック錠を製造販売したものとして被告製剤の販売数量を算出しているので、特許権存続期間中の輸入シメチジン原末は侵害品であり、特許権消滅後のカイロック錠販売による損害賠償は認められるべきであるが、原末の輸入からカイロック錠の製造販売のタイムラグをも考慮した木目細かい算出をすれば、特許権消滅後の特許権消滅後のカイロック錠販売による損害賠償は認められるていたと思われる。
このことに関しては、判示事項にも「なお、前記のとおり、原告X2社の損害額については、被告の輸入量実績を基礎として推認したが、右算定に当たり、被告がシメチジン原末を輸入してから、カイロック錠に製造して販売するまでの時間的間隔は、敢えて考慮されていない。したがって、被告が、本件特許期間満了後に販売した製剤については、損害額に含まれているものもあり得ると解される。」とある。
8) 特許権存続中に市場早期参入することによる特許権消滅後の利益に対して行なう損害賠償であり、米国では地裁レベルの判決であるが認められている。
9) 荒井寿光著「これからは日本もプロ・パテント(特許重視)の時代」社団法人 発明協会 1997年9月1日初版発行 p.59

弁理士・行政書士 佐藤 富徳

 

 

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